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Vol144 ポルノ依存は危険な道。 淫乱は真の愛から遠くなる闇。

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Vol144 ポルノ依存は危険な道。 淫乱は真の愛から遠くなる闇。




VOL.144 完全な者になれるように祈り求めなさい。

 

 
前回の有料記事では、誰もが信じて祈り求めれば世界的な大使徒になれるというお話をしましたが、今回はこれをまた別の視点からお話しています。
 
大使徒になれるということは、ある意味、この世での成功を意味しますが、神様を信じることで、この世でそのような偉大な人物になれるなら、当然、あの世でも偉大な人物になれるはずです。
 
つまり、霊的に完全な人間になることができるはずです。
 
しかし、人は今の自分の弱点や欠点を見て、こんな自分が完全になれるわけがないと考えたり、あるいは完全になる必要がないと考えたりして、完全になれるように祈り求めようとしません。
 
確かに私たち人間はそんなに簡単に完全になることはできません。
 
そんなに簡単に世界的な人物になることができないのと同様、一朝一夕で完全な存在になれるわけがありません。
 
しかし、神様はそれでも我々に完全になれると仰って下さいました。
 
そして、どのようにすれば、完全な者になれるのか。
 
今回は、神様がその具体的な方法を教えて下さいました。
 
今回は音声ではなく、啓示を受けたときの文章をそのまま掲載いたします。
 
---------------------
 
(1月28日に受けた啓示です。)
 
辛いときは自分の弱点を克服するべき時だと考えなさい。
 
サタンから攻撃されたり、様々な患難苦難があるとき、自分の弱さが露わになる。
 
自分の弱点がどこにあるのか、自分の欠点がどこにあるのかが明らかになる。
 
そのため、人は自分の余りのどうしようもなさに気落ちし、やる気を失ったり、自信を失ったり、希望を失ったりする。
 
辛いときに希望を抱きつづけたり、自信を持ちつづけるのは、あなたたち人間にとって至難の業だろう。
 
しかし、自分に弱点があり、欠点があるのに、無理やり希望や自信を持っても意味がない。
 
それは本当の希望ではないし、本当の自信ではない。
 
それを虚勢といい、または高慢というのだ。
 
あるいは虚栄心だとも言う。
 
そして、虚勢をはったり、虚栄心を持ったりすることは、私の前では罪だ。
 
自分に弱点があり、欠点があるのに、その弱点や欠点を見て見ぬふりをして、まるでその弱点や欠点がないかのように自分で自分を偽ったり、他人の前で虚勢を張ったりすることは私の前では罪だ。
 
私は謙遜な者を祝福すると言ったのではないか。
 
自分に何らかの弱点があり、欠点があるなら、それをきちんと素直に認めて、その弱点と欠点をきちんと克服しなければならない。
 
そうしなければ、あなたたちはいつまで経っても完全な人間にはなれない。
 
これから男たちは神である私に似せて作り、女たちは聖霊様に似せて作っていくと言ったのではないか。
 
つまり、男も女も完璧な存在へと作っていくということだ。
 
そして、それこそが真の救いだ。
 
救いというのは、自分の弱点や欠点をそのまま放置して、その弱点や欠点を克服しないまま、ありのままの人間でいいのだといって慰めてもらうことではない。
 
この世の中の宗教はほとんどそのような心の慰めで終わるが、私があなたたちに伝えるこの御言葉は、あなたたちの弱点や欠点をすべて克服するために伝えている。
 
そして、私の御言葉を実践すれば、実際にあなたたちは長い年月をかけてではあるが、必ず弱点も欠点も克服することができる。
 
この言葉を信じなさい。
 
これからの六年間、サタンから激しい攻撃があると私は話したが、そのようにサタンが活動するときこそ、あなたたちは自分の弱点や欠点があらわになるだろう。
 
サタンに対抗しようとしても、その弱点や欠点があるがゆえに、サタンになかなか太刀打できないことが多々出てくるはずだ。
 
そして、サタンに負けてばかりいるうちに、自分がとても情けなく思えてきて、自分に自信を失い、希望を失ってしまう。
 
場合によっては、私に祈り求めることすらやめてしまう。
 
あなたたちはそんなことにならないように、自分の弱点や欠点が見えたら、素直にその弱点と欠点を認めて、それらを克服しようとする人間にならなければならない。
 
虚勢を張って、弱点や欠点を見て見ぬふりをして、その弱点と欠点を治さないまま生きていれば、いずれ本当にサタンにやられてしまう。
 
サタンはあなたの弱点と欠点をついてあなたたちを攻撃してくるからだ。
 
これからサタンはあなたたちをがむしゃらに苦しめると言ったが、子分のサタンでもあなたたち一人ひとりの弱点や欠点ぐらいはすぐに分かる。
 
霊界から見れば、全てが一目瞭然だからだ。
 
だから、サタンたちがいくらがむしゃらにあなたたちを苦しめると言っても、一応、あなたたちの弱点を欠点を見抜いた上で、その弱点と欠点を狙って攻撃してくる。
 
そうして、あなたたちに無力感を抱かせ、希望と自信を喪失させようとする。
 
そうして、私に祈り求める気持ちすら剥奪しようとする。
 
聖書を読んだり、御言葉を読んだり、賛美したり、伝道したりする気持ちを奪い取ろうとする。
 
希望や自信を失った人間は、前向きに私を愛そうという気持ちを失ってしまいがちだからだ。
 
これからの六年間、サタンはそのようにしてあなたたち一人ひとりから信仰を奪い取ろうとするだろう。
 
そして、自分はどうせこんな運命なのだと思い込ませ、私に祈っても人生が変わらないと思い込ませようとする。
 
特に信仰の弱い者は、何か辛いことがあるたびにそのように思い込んでしまう傾向がある。
 
しかし、私に毎日きちんと祈り求め、毎日きちんと聖書を読み、毎日きちんと御言葉を読み、賛美をし、伝道していくなら、あなたたちは必ず全ての弱点と欠点を克服することができる。
 
私にはそれだけの力があるからだ。
 
どこか健康に問題がある人も、諦めずに私に祈り求めなさい。
 
どんな大変な問題があっても、諦めずに解決できるように祈り求めなさい。
 
サタンがどんなに激しく暴れまわって、あなたたちの周りで沢山の問題を起こしたとしても、落胆することなく、私に祈り求めなさい。
 
私は神だ。
 
この天地万物をつくった神だ。
 
あなたにとってあなたの抱えた問題はとても大きく見えるかも知れないが、私から見れば大したものではない。
 
そのことを分かって、私に絶えず祈り求めなさい。
 
辛いときこそ私に祈り求めなさい。
 
辛い時が過ぎ去れば、あなたたちは心から必死で私にすがりつくことができなくなる。
 
辛いときこそ、あなたたちは心の底から必死で私にすがりつこうとするからだ。
 
そのときこそ自分の弱点と欠点を克服できるチャンスだと思いなさい。
 
これからあなたたちには患難苦難がある。
 
これは誰にも避けられない。
 
誰であれ、大なり小なり様々な患難苦難を受けることになるだろう。
 
これは避けて通れない。
 
だから、何か辛いことがあったときは、この御言葉を思い出して、自分の弱点と欠点を素直に認めて、その弱点と欠点を直視しながら、私にその弱点と欠点を克服できるように祈り求めなさい。
 
その弱点や欠点を見て、自分を責めてはいけない。
 
悔い改めることと責めることは違う。
 
悔い改めるというのは、変わろうとすることだ。
 
しかし、責めるというのは、自分の弱点や欠点をただ卑下することに過ぎない。
 
責めてはいけない。
 
裁くのは私だけだ。
 
あなたを裁くのは私だけであって、あなたではない。
 
あなたにはあなた自身をも裁く権限すらもない。
 
---------------------
 
(コリント人への第一の手紙4章3〜5節)
 
わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。
 
わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。
 
わたしをさばくかたは、主である。
 
だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。
 
主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。
 
その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。
 
---------------------
 
そして、私はあなたたちが悔い改めさえすれば赦すと言ってるのではないか。
 
つまり、あなたたちが変わろうと努力している限り、私はあなたたちを赦すということだ。
 
しかし、変わろうとする努力をやめるなら、私は赦さない。
 
私は高慢な者を敵とする神だからだ。
 
謙遜に自分の弱点と欠点を認めて、その弱点と欠点を治そうとする者こそ、私が祝福する。
 
その人の祈り通りに、その弱点と欠点を直してあげるだろう。
 
そうすると、その人は自然と心に自信が湧き、希望が湧いてくるだろう。
 
私はそのようにしてあなたたちの霊的な救い、肉的な救いを成していく。
 
つまり、あなたたちが真に救われるためには、まずはあなたたちの中にある弱点と欠点をきちんと謙虚に認めなければならないということだ。
 
あなたたちはそのようにいつも謙遜な者でありなさい。
 
完全になっていない者は、どこかに弱点や欠点があるから完全になっていないのではないか。
 
そして、あなたたちの中には一人として完全な者はいない。
 
だから、あなたたちは素直に自分の弱点と欠点を認めて、私の前に出てきてそれを直せるように祈り求めなさい。
 
必死で私にすがりつきなさい。
 
その弱点と欠点ゆえにサタンに勝てないのなら、私に泣いてすがりつきなさい。
 
そうしてこそ、あなたたちはサタンに勝利し、この六年間の患難苦難を耐え忍ぶことができる。
 
そして、私とともに千年王国に入って、私とともに千年王国の歴史を成していくことができるようになる。
 
あなたたちに完全になってほしくて、このように話をした。
 
完全になれるまでは、サタンがいつまでもあなたたちの弱点と欠点を徹底的についてくる。
 
だから、サタンに勝てるように、自分を完全な者に作りなさい。
 
そのように徹底的に努力しなさい。
 
自分に妥協してはいけない。
 
妥協した分だけサタンにつけこまれる。
 
愛している。
 
(続けて、1月29日に受けた啓示です。)
 
あなたたちは罪を軽んじてはいけない。
 
未だにラプトのところに、ポルノ雑誌を読んだり、ネットで淫乱なものを見たりするのは罪なのかと尋ねてくる者がいる。
 
聖書の中に、異性を情欲の目で見る者も姦淫したのと同じだと書かれてあるのではないか。
 
---------------------
 
(マタイによる福音書5章27〜28節)
 
『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
 
しかし、わたしはあなたがたに言う。
 
だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
 
---------------------
 
この聖句を読めば、そのようなことが私の目から見て罪にあたることがすぐに分かるのではないか。
 
もっとも、私はあなたたち人間がそのようなものにすぐに心惹かれてしまうことを知っている。
 
だから、私はあなたたちが心の中で情欲を抱いたからと言って、即座に裁くようなことはしない。
 
もし私がそのようにすぐに裁いていたら、あなたたちは今頃とっくに罰を受けて、地獄のような苦しい毎日を過ごしているにちがいない。
 
しかし、例えどんなことであろうとも、聖書に罪と書かれてあることは全て罪だ。
 
どんな些細なことも罪だ。
 
そして、罪は犯さなければ犯さないほど安全だ。
 
しかし、罪は犯せば犯すほど危険だ。
 
罪があるところにサタンがやってきて、その人からどんどん条件を奪い取っていってしまうからだ。
 
つまり、私を愛する心、私を信じる心を奪い取っていってしまうのだ。
 
罪があると、私から裁かれると思って、あなたたちは恐れているかもしれない。
 
しかし、私から裁かれることは本当はあなたたちにとってそれほど恐ろしいことではない。
 
私から裁かれれば、人によってはそれによって私に立ち返ることができるからだ。
 
心から悔い改めて、私を再び愛することができるようになるからだ。
 
しかし、私の裁きよりももっと恐ろしいのは、サタンから条件を奪われてしまうことだ。
 
サタンから条件を奪われることによって、私を愛する心、私を信じる心を奪われてしまうのだ。
 
そして、もしあなたたちが私を愛さなくなり、私を信じなくなれば、あなたたちはこの世でも幸福に生きられることはないし、あの世でも地獄に落ちてしまう。
 
しかも、最初は些細な罪を犯していたとしても、その罪が積もり積もって、あなたたちはやがて大きな罪を犯してしまうことになりかねない。
 
例えば、あなたが誰かのことを心の中で恨んでいたとする。
 
そして、そのように恨むということは罪だ。
 
しかし、心の中で恨むことは実際にその人に暴力を奮ったり、悪口を言ったりすることに比べれば、まだそれほど大きな罪ではない。
 
だから、私もその人にいきなり大きな裁きを与えたりはしない。
 
むしろ、その人がその憎しみから解放されるように導いてあげるだろう。
 
その人が私に祈り求めれば、その人の心から憎しみをなくし、心に平安が訪れるようにしてあげるだろう。
 
だが、その人がその憎しみの心を罪だと認識せず、悔い改めないなら、その人は日ごとに憎しみが膨れ上がり、最終的には憎んでいる相手に手を出すようになるかも知れない。
 
悪口を言ったり、暴力をふるったりするかも知れない。
 
そして、相手に怪我を負わせることすらあるかも知れないし、場合によっては殺してしまうかも知れない。
 
そのようなことが起きないようにするために、罪が小さなうちからその罪の芽を刈り取らなければならない。
 
そもそも、その人が憎しみを心に抱いている時点で、その罪によってその人の霊魂は汚れてしまう。
 
霊魂がその罪によってどんどん変質していくのだ。
 
だが、その人がきちんと毎日、私の前でその罪がなくなるように祈り求めるなら、霊魂は変質しないし、むしろ悔い改めによって聖霊を受けられるので、逆に霊魂が清くなることができる。
 
しかし、そのように悔い改めない者は、日ごとに霊魂がその罪によって汚れ、変質していく。
 
変質していくというのは、つまりサタンにより似ていくということだ。
 
そして、霊魂がサタンに似ていけば似ていくほど、当然、その人の心から私を愛する心、私を信じる心がなくなってしまう。
 
そんなことにならないために、私は聖書の中で心の中で犯す罪までも全て指摘し、悔い改めるように言っているのだ。
 
これは情欲についても同じことが言える。
 
最初はただポルノ雑誌やネットの画像や動画を見ているだけだったとしても、それらを毎日見ているうちに、自然と異性と本当にそのような行為をしたいと思うようになる。
 
そして、人によってはその欲望を抑えられず、実際に風俗店に言ったり、あるいは誰か近くの異性とそのような関係を持ったりしてしまう。
 
そして、もしその人が本当に異性と性的な関係を持つなら、その人はアダムとエバのように堕落し、再び霊的に回復するのは難しくなる。
 
特にこれから2023年までの間は、少しでもそのような罪があれば、サタンがその人からことごとく条件を奪い取ってしまうので、あなたたちはもう二度と私を愛することができなくなるだろう。
 
これは、誰かが実際に人を殺したとき、その人がもう二度と私を愛そうとする気持ちがなくなってしまうのと同じことだ。
 
人を殺した者はもはや私を愛そうという気持ちが完全になくなってしまう。
 
異性の罪もまたこれと同じだ。
 
ところが、この世の中では殺人は罪とみなされて牢獄に入れられるが、異性と性的な関係を持ったとしても何の刑罰も受けることはない。
 
だから、あなたたちの中には、異性と性的な関係を持つことが未だに罪であると十分に認識できていない者もいるかもしれない。
 
しかし、結婚していない者どうしが性的な関係を持つことは、姦淫にあたる行為だ。
 
例え互いに合意していたとしても、それは自然の摂理に反した行為なので、人間がやっていいものではない。
 
これは罪だ。
 
ところが、あなたたちはこのことすら罪だという認識がないので、ポルノ雑誌などの淫乱物を見ることを軽く考えて、それを見てしまう。
 
そして、それを見ているうちに、あなたたちはどんどん霊魂が汚れてしまい、サタンから条件を奪われていくのだ。
 
実際に異性の関係を持つに至らなくても、毎日のように淫乱物に溺れて、そこにばかり時間を投資して生活するなら、いずれあなたたちの霊魂は変質してしまう。
 
その罪を悔い改めようともせず、毎日それらを当たり前のように見て過ごすなら、霊魂がサタンのように変質していってしまう。
 
私はあなたたちがそのようにならないように裁くこともするだろうが、私から裁かれるならまだマシだ。
 
その人は私から与えられた裁きによって、私に立ち返ることができるからだ。
 
しかし、私から裁かれても、私に裁かれていると気付かず、その罪を悔い改めることなく、ずるずるとその罪に溺れていくなら、その人はいずれサタンから完全に条件を奪われてしまう。
 
つまり、その人の霊魂がサタンと似たものになり、私を愛する心、私を信じる心を完全になくしてしまうということだ。
 
このようなことにならないために、罪はどんな小さなものでも毎日悔い改めて、なくなるように祈りなさい。
 
そのようにしてこそ安全だ。
 
そのようにしてこそサタンに付け込まれない。
 
サタンはこれからただでさえあなたたちを苦しめるだろう。
 
なのに、あなたたちの霊魂がサタンのようになってしまうなら、あなたたちはもう二度と私に立ち返ることはできない。
 
信仰生活が辛くなって、私から離れていってしまうだろう。
 
私に対する愛も冷め、私を信じる心、前向きに私のために何かを成そうとする気持ちをすべて失ってしまうだろう。
 
そのようなことにならないように、どんな小さな罪も悔い改めなさい。
 
その罪をなくすように努力しなさい。
 
そして、罪を犯す時間を、私のために少しでも何かを実践する時間として使いなさい。
 
自分の個性や才能を伸ばし、ブログなどを書いて伝道し、聖書を読み、賛美をし、有料記事を読み、祈りなさい。
 
また、体の鍛錬も人によっては必要だ。
 
ジョギングしたり、体操をしたり、スポーツをしたり、あるいは気分転換のために何か有益な時間を過ごしなさい。
 
特にサラリーマンやOLのように社会に出て働いている者たちは、ストレスがかなり溜まるはずだから、ストレスが溜まらないように常に霊的にたくさんの時間を投資しなければならない。
 
その上で肉的にも個性や才能を磨いていくなら、完全にストレスから解放されて生きられるようになるだろう。
 
仕事でどんなに辛い思いをすることがあっても、霊的・肉的に私のために生きるなら、人生がより楽しく、充実して感じられるようになり、仕事の辛さを忘れてしまうようになるからだ。
 
これからも罪についてはもっと具体的に話していくことになるだろう。
 
愛している。
 
(続けて、1月30日に受けた啓示です。)
 
あなたたちは確かにまだまだ罪深い。
 
その罪によって、サタンがあれこれと詰問し、あなたたちを苦しめるだろう。
 
だから、あなたたちはこれからもっと自分を完全に作っていかなければならない。
 
そして、あなたたちが私に祈り求めるなら、私があなたたちを完全な者に作っていくだろう。
 
どれだけ求めるかで、あなたたちが完全になれるかどうかが決まるのだ。
 
しかし、人は完全になろうとしない。
 
完全になれないと最初から諦めているし、完全になる必要がないと思っているからだ。
 
人間だからこんなものだ、人間は罪深いから完全になれるわけがないと思って、今よりさらに高い次元に上ろうとしない。
 
確かに一日、二日、祈ったところで、あなたたち人間が完全になれるわけがない。
 
何十年と練達を受け、何十年ともがいて祈り、条件を立ててこそ、ようやく人は完全になれる。
 
私があなたたち人間に百年という人生の期間を与えたのは、それぐらいの長い歳月を生きてようやく人間が完全な状態になれるからだ。
 
およそ二十年ほどかけて人はある程度、私に似た者になることができるし、その後も条件を立てた分だけ私により似た者になることができる。
 
つまり、やった分だけより完全に近付いていくということだ。
 
どんな芸術家も、やった分だけ腕が熟練していく。
 
そして、芸術というものは常に完全なものを求めてこそ、より理想的な作品を作ることができる。
 
この程度でいい、と思ってしまえば、その程度で終わってしまう。
 
しかし、芸術家がもっと理想的なもの、もっと完璧なものを求めて、それを追求しつづけるなら、追求した分だけ次元の高いものを作ることができる。
 
しかし、芸術とはこの程度のものだと言って、自分が作った作品を見て満足し、それ以上、次元の高いものを求めないなら、その芸術家はそのレベルに留まってしまう。
 
この世の芸術家のほとんどは、ある程度知名度が上がって、ある程度お金が稼げれば、そのレベルで満足して終わりにしてしまう。
 
これは信仰者であるあなたたちもまた同じことが言える。
 
ある程度、霊的に成長して、心の中にあった不安や心配や悩みがほとんどなくなり、自分をとりまく様々な問題が解決すると、それ以上のものを求めなくなる。
 
そして、それ以上のものを求めなくなれば、その人はその次元に留まってしまう。
 
そして、現状を維持できればそれでいいと考えて生きる人間は、実際のところは下り坂をコロコロと転がり落ちていると考えなければならない。
 
人間はより上の次元を目指して努力しつづけなければ、現状を維持することすら難しいからだ。
 
そうではないか。
 
例えば肉体の健康を維持することも、現状のままでいいと思って、その日から何の健康管理もせず、体に悪いものばかり食べたり、何の運動もしなかったりする日々を送るなら、その日からその人の健康は悪化していくばかりなのではないか。
 
これと同様、あなたたちの信仰も、現状を維持できればいいと思って、それ以上、次元を上げる努力を怠るなら、その人はどんどん下り坂を転がり落ちるように次元が下がっていく。
 
そして、次元が下がれば、その人は再び心が不安や心配や悩みで満たされるようになるだろう。
 
それまで給料を毎月二十万もらっていた人が、急に毎月十万しかもらえなくなったら、それまでの生活水準が維持できなくなるので、苦しくて仕方がないのではないか。
 
それまでずっと毎月十万で生活していた人が、続けて毎月十万で暮らすことはそれほどの苦ではないが、それまでずっと毎月二十万をもらっていた人が、急に毎月十万で生活するのは難しい。
 
一度、良い思いを味わった人は、その下のレベルで生きるのが苦しくなる。
 
これは霊界においても全く同じだ。
 
一度、霊的により高い次元の恵みを味わった人は、その次元より低い次元の霊的な恵みを受けても、それを恵みだとは感じられない。
 
今よりももっと高い次元の恵みを受けてこそ、素晴らしい恵みを受けることができたと感じることができるのだ。
 
なのに、あなたたち人間はいつも現状さえよければ、それでいいと思って安住しようとする。
 
その方が楽だからだ。
 
しかし、私はあなたたちに地球規模の祈りをしなさいと言った。(これは前回の記事のことです。まだ視聴していない方は視聴して下さい。)
 
○RAPT有料記事143(2017年2月4日)自分で勝手に自分の限界を定めるな。誰でも世界的な人物になれる。
 
そして、そのような大きな祈りを一月もやっていれば、その人は自然と自分が世界規模の人間になれると信じられるようになっているはずだ。
 
もちろん、サタンがその信仰を突き崩そうと、様々な形でその人から自信を奪い取ろうとするだろうが、それでもその人がその祈りを絶えずつづけるなら、サタンがどんなにその人から自信を奪い取ろうとしても奪い取ることができない。
 
つまり、そのような大きな祈りを捧げること、今よりもっと高い次元へと成長することを祈り求めている人は、自ずと自信に満ち溢れるようになるということだ。
 
自信に満ち溢れて生きるということは、この世の中では至難の業だが、私の世界では今よりもっと高い次元に行くことを真剣に祈り求めることによって、簡単にできる。
 
そして、そのように自信を持つようになると、人は自然とやる気も湧いてくるし、その目標のために努力することも楽しくなる。
 
しかし、自信がないと、こんなことをやっていても仕方がないと思うしかないので、結局、その目標のために何の努力もしなくなる。
 
あなたたちはこのような自堕落な人間になってはいけない。
 
現状を維持できればいいと考えるような低レベルの人間になってはいけない。
 
常に完全になることを求めて、完全になれるように祈り求めなければならない。
 
私はあなたたちがどれほど私を求めているか、どれほど私が望むような人間になりたいと真剣に求めているのかをじっと見ている。
 
私はあなたたちに完全になってほしいと願っているのに、あなたたちが完全になりたいと思わず、そのために何の努力もしないなら、それはあなたたちが私をそれほど愛していないということを意味する。
 
だから、私は完全になるためにもがこうとしない者を見て、この人は私のことを愛していないのだと思い、この人はもう私の恋人にはなれない、と考えるしかない。
 
そして、私の恋人になれないと判断した人間のために、私はあれこれと投資することもない。
 
その人が自分の恋人になれる人だと思うから、私はその人のためにあれこれと投資してあげるのだ。
 
すなわち、その人が霊的にも肉的にも成長できるように、様々な働きかけをしてあげるということだ。
 
私は完全な存在なのだから、私の恋人になるためには、やはりあなたたちも完全な存在にならなければならない。
 
あなたたちの肉体が死ぬときまで、自分をできる限り完全に作っておくなら、いざ肉体が死んで、霊魂がその肉体から離れて天国に行ったとき、あなたたちは肉体の支配から解放されて、私と似たような完全な存在として、天国で私とともに愛をなして生きられるようになる。
 
だから、あなたたちは完全に自分を作らなければならない。
 
そうなるために私に毎日、真剣に祈り求めなければならない。
 
自分が完全になれるわけがないと思ったら、あなたたちは完全にはなれない。
 
しかし、聖書にはあなたたちが完全にならなければならないと書いてあるのではないか。
 
---------------------
 
(マタイによる福音書5章48節)
 
それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
 
---------------------
 
あなたたちが実際に完全な存在になれるから、そのように書いてあるのだ。
 
私に祈り求めて聖霊を豊かに受けるなら、あなたたちはその聖霊の力によって完全になることができる。
 
聖霊にはそのような力がある。
 
聖霊とは電磁波だと言ったのではないか。
 
その電磁波がきちんと充電されていないから、あなたたちはまだ完全になれないのだ。
 
しかし、毎日、豊かに聖霊を受けて、毎日豊かに充電していくなら、あなたたちはいずれ完全な者になることができる。
 
今はまだ充電が完全ではないから、生活の様々な面において様々な過ちを犯し、罪を犯してしまうが、いざ完全に充電されると、その人は私のように完全な存在者として、罪も汚れもなく生きられるようになるのだ。
 
はっきりと言うが、今まで当たり前のように罪を犯して生きてきたあなたたちが、急に明日から全く罪を犯さなくなる、ということは不可能だ。
 
そんなことはあり得ない。
 
何十年ともがきつづけてこそ、あなたたちはようやく罪のない完全な人間になれるのだ。
 
それも毎日、100%熱心に私を愛しつづけてこそ、ようやく死ぬまでに完全な人間になれるのだ。
 
なのに、あなたたちが生ぬるい適当な信仰生活を続けるなら、あなたたちは人生がいくら百年あったとしても、絶対に完全になることはできない。
 
私はあなたたちがどれだけ私に似た完全な者になれるように祈り求めるかで、あなたたちの私に対する愛を推し量っている。
 
どれだけ完全になりたいと願っているのか、私はそれをじっと黙って天国から見ている。
 
この世の中では例えどんなに完全になったとしても、誰からも認められることはない。
 
あなたが完全になったところで、周りの人にはそれが分からないからだ。
 
しかし、私にはそれが分かるので、私がそれを認めてあげるだろう。
 
つまり、あなたが完全になったとしても、それを分かって認めてくれるのは私だけだということだ。
 
だから、完全になろうと毎日強く私に祈り求めている者は、この世の中ではなく、本当に私から認められようとしていると言える。
 
つまり、私のことをそれだけ真剣に愛していると言えるのだ。
 
しかし、完全になろうとしない者、完全になるために私に祈り求めない者は、私よりもまだこの世の中に未練や執着を持っているということだ。
 
この世の中に未練や執着があるからこそ、完全になれるように祈り求めないのだ。
 
例えば、異性に未練がある者は、情欲や恋心を自分の心からなくすために真剣に祈らない。
 
また、物質に未練がある者は、物欲を自分の心からなくすために真剣に祈らない。
 
そして、そのようにきちんと祈らないのを見て、私はその人が私のことを本当に愛してはいないのだと判断してしまうしかない。
 
あなたたちはそのように私から判断されないためにも、毎日、完全な者になれるように祈り求めなさい。
 
そうしてこそ、私はその人が私のことを本当に愛してくれているのだと考え、その人のことを祝福するだろう。
 
しかし、完全になれるように真剣に祈り求めない者は、その人が私よりもまだ世の中に心が惹かれているのだと思って、祝福を与えない。
 
あなたたちは常に完全になれるように祈りなさい。
 
自分で自分の限界線を勝手に決めてはいけない。
 
霊的なことも肉的なことも、どんなことでも自分の限界線を自分で勝手に決めてはいけない。
 
あなたたちは何を基準にして自分の限界を決めているのか。
 
あなたたちは何を根拠にして、その自分の定めた限界線が正しいと言えるのか。
 
あなたが決めた限界線は、あなたが勝手に考えたものであって、私が考えたものではない。
 
私の考えたものではないから、その考えは間違いだ。
 
私はあなたたち人間が私たち三位と似た者になるために、あなたたち人間を創造したのだ。
 
なのに、あなたたちが私たちのように完全になれるということを信じないで、完全になれるように祈り求めないのか。
 
完全になれるようにもっと真剣に祈り求めなさい。
 
そうすると、サタンはますますあなたたちの隙をつくのが難しくなる。
 
完全になれるように祈ることで、サタンはその人を見て戦々恐々とするしかない。
 
その人の前で平伏するしかない。
 
なぜならサタンは、完全になることを諦めるどころか、完全になることを拒否して私から離れ去っていった者たちだからだ。
 
そのようなサタンにとって、完全になろうと決心して日々祈り求めている者が、どれほどの脅威に見えるだろうか。
 
あなたたちは常に自分が完全になれるように祈りなさい。
 
そうしてこそ、あなたたちはじわじわと長い年月をかけて、本当に完全な人間になれるのだ。
 
この世に未練を持つな。
 
そこにあなたたちの救いは一ミリたりとも存在しない。
 
完全になってこそ、あなたたちは初めて私の真の新婦になれると考えなければならない。
 
もちろん、私は未だに完全になれていない者も愛してはいるが、私がそのように愛するのは、その人がいずれ完全になってくれるだろうと期待しているからであって、その人が完全になることを諦めて祈り求めなかったり、最初から完全になることを拒絶するなら、私はその人を愛することができない。
 
そのような者はいずれ自分勝手な生を生きるようになるだろうと思って、私もその人を心から愛して育てることができない。
 
あなたたちが私に真に導かれて、私から育ててもらいたいと願うなら、日々、完全になろうと決心して、完全になれるように祈り求めなければならない。
 
そうしてこそ、あなたたちの上にはさらなる祝福が増し加えられるだろう。
 
大きな祈りを捧げなさい。
 
完全になれるように祈ることもまた、大きな祈りを捧げることだ。
 
その上で、世界規模の大使徒になれるように祈りなさい。
 
そのように霊的にも肉的にも大きな偉大な存在になれるように祈りなさい。
 
そう祈ることが知恵だ。
 
そのように祈る者は、必ずその祈りの通りに偉大な人物になれるからだ。
 
あなたたちに完全な存在になってほしくてこの御言葉を語った。
 
愛している。
 
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皆さんに神様からの祝福がありますように。
 

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RAPT有料記事148(2017年2月20日)「麻生太郎」こそこの世の悪の中心だから、彼の滅亡を心から祈りなさい。RAPT有料記事147(2017年2月18日)最後まで戦わなければ、サタンの勝利で終わる。最後まで戦い抜いてこそ、あなたたちの勝利になる。「麻生太郎」と山口組と統一教会と北朝鮮とイスラム国。全ては裏で一つにつながっている。RAPT有料記事146(2017年2月13日)中心者のため、兄弟姉妹のために心を込めて祈りなさい。



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