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Vol147 娯楽に依存せず、闇と最後まで闘って欲しい。

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Vol147 娯楽に依存せず、闇と最後まで闘って欲しい。


VOL.147 最後まで戦わなければ、サタンの勝利で終わる。最後まで戦い抜いてこそ、あなたたちの勝利になる。

 

 
今回の有料記事は、大きく二つの内容に分かれています。
 
まず一つ目は、兄弟姉妹のため、人類のために祈ることの重要性についてお話しています。
 
前回、自分のことばかりで精一杯というような心の狭い人間であってはいけない、兄弟姉妹のために心から祈らなければならないというお話をしました。
 
今回はこの話について、神様がさらに一段階、次元を上げて話をして下さいました。
 
私たち義人が心から兄弟姉妹のため、人類のために祈ってこそ、彼らの罪の代価を払うことができるし、自分自身もより高い位置にまで上り詰めることができます。
 
今回、神様はそのように力強く私たちに語って下さいました。
 
もう一つは、最後まで諦めずに祈り求めることの重要性についてお話しています。
 
信仰生活とはサタンとの戦いです。
 
ですから、もしその戦いを途中で放棄してしまうなら、私たちはサタンの前で敗北したことになってしまいます。
 
つまり、サタンの勝利が決定してしまいます。
 
旧約聖書では神様から遣わされた使命者が、余りの艱難苦難に耐えられず、サタンとの戦いを途中で放棄してしまったために、その後、恐ろしい災いを招いてしまうということがありました。
 
神様がサタンに勝利することは最初から決まっていますが、自分自身がサタンとの戦いに勝利できるかどうかは、自分自身にかかっています。
 
自分自身が最後までサタンと戦えば、勝利することは確実に決まっていますが、最後まで戦わなければ、サタンの勝利に終わってしまうのです。
 
そして、サタンの勝利で終わるなら、どんな恐ろしい結果になってしまうでしょうか。
 
だから、例えどんな艱難苦難があろうとも、決して落胆したり自暴自棄したりせず、最後まで戦い抜くことが重要なのです。
 
今回も前回に引き続き、受けた啓示の文章をそのまま掲載することにします。
 
---------------------
 
(2月9日に受けた啓示です。実を言うと、この日は私の誕生日でした。)
 
今日はあなたの誕生日だ。
 
2月9日。肉の日だ。
 
あなたが肉的な使命者だから、肉の日にあなたを生んだのだ。
 
これはダジャレではなく、あなたは計画的に肉的な使命者として私が生んだ者だ。
 
もちろん、あなた以外にも私が計画的に生んで育ててきた者はたくさんいる。
 
だが、誰もが私の練達に耐えられずに途中で挫折したり、サタンの誘惑に負けたりして、私の練達を最後まで耐え忍ぶことができなかった。
 
このように最後まで私を信じ愛して耐え忍ぶことがとても大きい。
 
人は一日、二日なら辛いことを耐え忍ぶことができる。
 
しかし、一年、二年と耐え忍ぶことは難しい。
 
まして十年、二十年と耐え忍ぶことは難しい。
 
人はあまりにも長く苦しみが続くと、自暴自棄して私を信じる心、私を愛する心をどんどん失っていってしまう。
 
例え私を信じていたとしても、真面目に信仰生活をすることが嫌になって、毎朝、明け方に祈ったり、毎日聖書を読んだり、毎日御言葉を読んだりすることを放棄したりするようになる。
 
そのようにして、本当に私を愛し信じる者だけが救われるようになっているのだ。
 
どんなに辛くても、全ての練達を耐え忍び、かつその苦しみは自分の何らかの罪によって起きたことではないかと謙虚に考えて、自分の弱点や欠点を洗いざらい悔い改め、私にその罪がなくなるように泣いて心から祈り求める者こそ、真に私からの救いを受け、私から永遠の栄光と祝福を受けられるようになる。
 
一生の間、最後まで私を愛し信じてこそ、そのような義の栄冠を受けることができるのだ。
 
しかし、人は最初に私の御言葉に出会って感動したときだけ、あるいは私の御言葉を聞いて心が楽になったり、心が平安になったりしたときだけ私のことを受け入れ、私のことを信じる。
 
そして、いざ何か辛いことが起きると、私よりも他のことを優先にして、私のことをないがしろにしてしまう。
 
最初のうちはその辛さを祈りで解決しようとするが、なかなか解決できないと、やがては私の存在を疑うようになり、祈っても意味がないと思って、私にすがりつくのをやめてしまう。
 
御言葉は嘘だったのだと思い、御言葉も真面目に聞かなくなる者も出てくるだろう。
 
サタンはそのようにどこまでも徹底的にあなたたちを苦しめる。
 
あなたたちが例えどんなに罪を悔い改めても、どんなに私に泣いてすがりついても、あなたたちに次から次へと苦しみを与えて、私に祈ることを断念させようとするのだ。
 
そして、もしあなたたちが本当に私に祈り求めるのをやめてしまえば、あなたたちは二度と聖霊を受けることはできないし、聖霊を受けられなければ、当然、信仰も愛もすべてを失ってしまう。
 
聖霊こそが信仰と愛の原動力だからだ。
 
私を信じ、愛する原動力はただ聖霊だけだ。
 
その聖霊は、私に祈り求めてこそ与えられるのに、私に祈っても無意味だと思って祈り求めなくなれば、あなたたちはもう聖霊を受けられなくなる。
 
そして、聖霊を受けられなくなれば、あなたたちは単に私を信じ愛することができなくなるばかりか、それまで心の中にあった平安や喜びや希望もすべて失い、また純粋な良心すらもなくなってしまう。
 
そして、異性に溺れたり、この世の享楽、快楽に溺れたりするようになる。
 
そうしているうちに、あなたたちの精神状態は最悪の状態になり、苦悩と心配と不安ばかりが心の中に充満し、怒りや不平不満の中で毎日を過ごすようになる。
 
そして、そんな毎日を過ごしているうちに、やはり私を信じていた頃の方がよかったと思い、私に再び立ち返ろうとする者も出てくるだろう。
 
しかし、純粋な良心まで失ってしまった者は、再び私に立ち返るのはとても難しい。
 
だから、あなたたちは自分がより強い良心を持てるように祈ることが重要だ。
 
良心の強い者は、例えどんな辛いことがあっても、悪の道に流されることがないからだ。
 
また、良心とは正義感という言葉にも置き換えることができる。
 
しかし、正義感というと、あなたたちはすぐにこの世の正義感のことを考えてしまうので、私は敢えてこれまで正義感という言葉を使うことがなかった。
 
この世の正義感というと、弱い人を助けたり、貧しい人を助けたりと、何かボランティアのようなことをすることだと思いがちだが、私のいう正義感はそのようなものではない。
 
確かに弱い人を助けたり、貧しい人を助けたりする必要があるときも出てくるだろうが、前々から言っているように、私があなたたちに求める隣人愛は、ただ私を愛することができるように導いてあげること、この一点のみだ。
 
隣人を私のところに導いてあげる人こそ、真に隣人を愛している人だといえるのだ。
 
それができないなら、仮に隣人に対してどんなに親切にしたり、優しくしたり、礼儀正しく接したとしても、私の前ではそれほど大きな義と認められることはない。
 
私が求める隣人愛はもっと高度なものだ。
 
すなわち、隣人に私のことを教え、私を愛することができるようにしてあげること、そのために真心から祈ってあげること、これだ。
 
このようなことができてこそ、その人は本当に隣人を愛したと言えるのだ。
 
そして、私はこれから兄弟姉妹が互いに横のつながりを持って、互いに心を一つにして互いのために祈りなさいと言った。
 
そのような愛こそが真に次元の高い愛だ。
 
この世の全ての人々が私とつながるようにしていく愛こそが、真に私の求める愛であり、真に次元の高い愛だと言えるのだ。
 
また、私はあなたたちに個性や才能を伸ばしなさいと言ったが、果たしてあなたたちは自分の個性や才能を伸ばした後、それらを一体何のために使おうと考えているだろうか。
 
単にお金儲けのためとか、名誉や名声を得ようとばかり考えてはいないだろうか。
 
そのような動機であなたたちが個性や才能を伸ばそうとするなら、あなたはさして個性と才能を伸ばすことはできないだろう。
 
なぜなら、私はそのような者に聖霊を降り注ぐことはしないからだ。
 
あなたの個性と才能を、人々に聖霊を与えるために、または人々に御言葉を述べ伝えるために伸ばしていこうとするなら、私はその人に限りなく豊かに聖霊を降り注ぐだろう。
 
私はあなたたちに対して私の栄光を求めなさいと言ってきた。
 
では、私の栄光とは何だろうか。
 
多くの人々が私のことを信じて愛するようになることではないか。
 
そのようになってこそ、私の栄光がこの世で大きく光り輝くことになるのではないか。
 
だから、私があなたたちに対して私の栄光を求めなさいと言ったとき、それは多くの人々を伝道しなさいということを意味している。
 
あなたたちが自分の個性や才能を使って、多くの人々に聖霊の感動を与え、御言葉につながるようにしてあげなさいと言っているのだ。
 
なのに、あなたが単にお金儲けや名誉や名声を得るために自分の個性や才能を伸ばそうとするなら、私はその者には全く働きかけない。
 
聖霊を与えることもしないし、知恵や悟りを与えることもしない。
 
だから、その人は自力で全てをやるしかないが、自力で個性や才能を伸ばそうとしたところで、大したことはできないだろう。
 
十年、二十年かけても、何の結果も出すことはできない。
 
しかし、あなたたちがこの世の人々を伝道するために自分の個性や才能を伸ばしていくなら、私は豊かにその人に聖霊を降り注ぎ、知恵と能力を豊かに与えるだろう。
 
ラプトもまた小説家になりたいと思って必死で読書したり文章を書いたりしてきたが、彼はそのような努力を富や名声を得るためにやるのではなく、ただひたすら私の新婦を伝道するためにやったから、私がこれまでずっと彼とともにして、豊かに聖霊を降り注ぎ、知恵と能力を与えてきたのだ。
 
もし彼が私の栄光のため、すなわち人々を救うために個性と才能を伸ばそうとするのではなく、単に富や名誉のために伸ばそうとしていたなら、私はとっくの昔に彼から離れ去っていたに違いない。
 
そして、彼はそのように毎日、私から豊かに聖霊を受けながら生活していたので、私の栄光のために行うことがどれほど大きなことであるかを深く悟っていた。
 
だから、決して自分の富や名誉を求めるところに自分の頭や体を使うことがなかった。
 
そのようにしてしまうと、すぐさま自分の中から聖霊が消えてしまうことが分かったので、彼はただひたすら私の栄光だけを求めつづけてきたのだ。
 
そして、こうして多くの人々を伝道した今は、この有料記事を読んで、真面目に信仰生活をしている人たちのために毎日、ひたすら真心をこめて真剣に私に祈っている。
 
だから、私もこうして彼に啓示を与えるしかない。
 
彼があなたたち読者のために真心から祈るので、その読者のためにこの啓示を彼に伝えさせるしかないからだ。
 
だから、あなたたちが真にこの世で大きく成功したいなら、私の栄光だけを求めなさい。
 
すなわち沢山の人々を伝道し、私を愛する人々を育てていける人間になれるように祈り求めなさい。
 
そうすれば、私がその人と共にして、その人に豊かに聖霊を与え、知恵と能力を与えるだろう。
 
だから、あなたたちはもっと兄弟姉妹のために祈りなさい。
 
それと同時に、未だ救われていない人々が救われるように熱心に祈り求めなさい。
 
そのような祈りを捧げる者は、真に私の栄光を求めている者だと私が認めて、私がその人を豊かに成長させ、この世でもあの世でも成功できるように導くだろう。
 
そうだ。
 
私の栄光を求める者とは、すなわち兄弟姉妹を心から愛する者であり、この世の人々を心から愛する者だと言える。
 
そのように兄弟姉妹を愛さず、この世の人々を愛していない者は、私の栄光ではなく、自分の栄光を求めている者だ。
 
私の世界では、そのような自己中心的な考えを持った人間は決して栄えない。
 
この世の中では自分さえよければそれでいいという世界であり、いかに自分の栄光のために努力するかで大きく成功できるかどうかが決まるかのように話をする者が大勢いる。
 
しかし、あなたたちはそのように自分を中心にして、自分が栄えることばかりを求めて何かに打ち込んだところで、果たしてどれだけ大きな成功を手にできただろうか。
 
何も手にできなかったはずだ。
 
例えできたとしても、誰にでもすぐに追いつかれてしまうぐらいの小さな成功しかできなかったはずだ。
 
しかし、ラプトはこの世の誰も真似できないことをやってのけているのではないか。
 
この世の人々とは全くかけ離れたことをやってのけているのではないか。
 
では、なぜ彼にそれができたのかというと、彼が真に私の栄光だけを求め、真にこの世の人々が救われるようにと真心から祈りながら生活しているから、私がそのように彼を豊かに祝福するしかないのだ。
 
しかし、この世で成功している人の多くが、誰でも真似できるような次元で成功して終わる。
 
だから、後世に名を残すことのできる者がそんなに多くない。
 
例えば、今現在、この世の中で有名になっている者たちが、果たしてどれほど長きに渡って人々からその名前を記憶されることになるだろうか。
 
恐らくすぐに記憶から忘れ去られてしまう者が大半だろう。
 
結局、自分の栄光を求めて努力したところで、何をやってもどんぐりの背比べにしかならないということだ。
 
だから、あなたたちはこの世の誰も追いつかないぐらいの地位に上り詰めるために、真に私の栄光を求めて生きなければならない。
 
つまり、兄弟姉妹とこの世の人々のために真心から祈り求めることのできる人間にならなければならない。
 
そのように毎日、兄弟姉妹やこの世の人々のために真心から祈り求める者こそ、私は真に自己中心の罪から離れた者と見なし、かつ真に自分の栄光ではなく、私の栄光を求めている者と見なして、豊かに祝福する。
 
つまり、聖霊を豊かに降り注ぎ、知恵と能力を豊かに降り注ぐ。
 
そうして、次々と様々なしるしと奇跡を起こして、その人がこの世で光り輝くように導くだろう。
 
このように真に私の栄光を求める者が、この世で真に偉大な大使徒になれるのだということを、あなたたちははっきりと理解しなければならない。
 
私はあなたたちに世界的な大使徒になれるように祈り求めなさいと言ったが、そのように祈っている者の中で、既に自分がそのようになれると心から信じられるようになった者は、その次のステップとして、自分の個性と才能を伸ばしつつ、兄弟姉妹のため、この世の人々のために真心から祈りなさい。
 
兄弟姉妹が豊かに聖霊を受けて成長し、この世の多くの人々が私に出会って救われるように祈り求めなさい。
 
また、中心者であるラプトのためにも毎日、真心から祈りなさい。
 
彼が栄えてこそ、あなたたちも栄えるからだ。
 
彼を押しのけて、彼よりも自分の方が上に立ってやるなどと、野暮な考えを抱いてはいけない。
 
彼は宗教的な中心人物だから、あなたたちが宗教的に彼よりも上になることはない。
 
ただし、あなたたちの専門分野においては彼よりも上に立つことはできるし、ラプトもあなたたちがそのような偉大な人物になれるように毎日、心を込めて祈っている。
 
しかし、あなたたちが自分の専門分野でどんなに栄えたとしても、彼はそれを妬むことはしないだろう。
 
なぜなら、彼はあなたたちが誰も追いつくことのできないものを既に手に入れたので、この世の誰のことも羨ましいと思うことがないからだ。
 
あなたたちもそのように誰も羨むことがないぐらいの位置にまで上り詰めなければならない。
 
自分の専門分野において、誰も追いつくことができないというぐらいの地位にまで上り詰めなければならない。
 
そのためには、あなたたちが真に私の栄光を求め、真の隣人愛を持つようにならなければならない。
 
そうしてこそ、あなたたちはこの世の誰のことも羨ましいと思うことのない地位にまで上り詰めることができるのだ。
 
そして、私もあなたたちをそのような次元にまで霊的にも肉的にも引き上げたいと思っている。
 
だから、あなたたちが兄弟姉妹のため、人類のために祈り求めながら努力していくなら、必ずあなたたちはそのような偉大な人物へと成長していくことができるはずだ。
 
私のこの言葉を信じなさい。
 
この言葉を信じて、今すぐ自分中心の考えを捨てなさい。
 
ひたすら私のため、隣人のため、兄弟のために生きる者となりなさい。
 
あなたの個性・才能によって、多くの人々が私につながることができるように祈り求めなさい。
 
あなたがどんなに自分の個性と才能を伸ばしても、あなたの個性と才能によって恩恵を被る者が誰もいなければ、あなたが個性と才能を伸ばしたところで、一体何の意味があるだろうか。
 
あなたの個性や才能によって恩恵を受けるからこそ、人々はあなたのことを尊敬し、敬うようになるのではないか。
 
だから、あなたたちは普段から真心をこめて兄弟姉妹とこの世の人々のために祈りなさい。
 
そうしていくうちに、あなたたち自身が兄弟姉妹からもこの世の人々からも重要人物とみなされ、重宝されるようになるのだ。
 
この法則をしっかりと心に止めなさい。
 
このことを心に留めて生活する者は幸いだ。
 
そのような者は必ず私から大きく使われる偉大な人物になることができるだろう。
 
愛している。
 
(続けて、2月10日に受けた啓示です。)
 
あなたは今、とても大変な状況の中にいる。
 
今までにない苦難に見舞われている。
 
しかし、あなたはここで諦めてはいけない。
 
絶えず私に祈り求めなさい。
 
そうしてこそ安全だ。
 
自分の力で解決できない問題も、ひたすら私に祈り求めて解決しなさい。
 
そうすれば、必ず解決できる道が開かれていく。
 
サタンどもはあなたたちが諦めるまで攻撃する。
 
様々な問題を起こしておいて、その問題を解決することはできないと思わせ、私に祈り求めるのをやめるまで攻撃する。
 
そして、あなたたち人間はいつもあと少しで問題が解決しそうになったとき、これ以上祈ってもムダだと思い、祈るのをやめてしまう。
 
とにかく最後まで諦めてはいけない。
 
最後まで粘って、私にしがみつきなさい。
 
自分に罪があるから問題が解決しないのではないかと考えず、とにかく私にしがみつくことだ。
 
あなたたち人間には大なり小なり罪がある。
 
そして、確かに私はあなたたちが罪を犯したら、その分に応じて裁きを与える。
 
しかし、あなたたちの罪によって何らかの問題が起きたとしても、あなたたちがその罪を悔い改めて、私に祈り求めるなら、その問題は全て解決する。
 
だから、罪があるなら全て悔い改め、その上で私に祈り求めなさい。
 
悔い改めても悔い改めても、自分の罪がなかなかなくならない場合も、とにかく必死で悔い改め、その罪がなくなるように祈りなさい。
 
その上で、問題が解決するように祈りなさい。
 
そうすれば、解決しない問題は何もない。
 
これからサタンはあなたたちを罪へと誘惑し、罪を犯した分に応じてあなたたちを苦しめる。
 
罪がなくても苦しめはするが、罪がある方がより条件を奪い取りやすいので、その人をより簡単に苦しめることができるからだ。
 
そして、あなたたちの中に罪のない人間は誰もいない。
 
だから、あなたたちの中に、サタンから苦しみを受けずにすむ者は誰もいない。
 
しかし、イエス・キリストは罪がなくてもサタンから苦しめられた。
 
あなたたちもこれからはそのような苦難を経験するだろう。
 
例えそれほど大きな罪を犯さなかったとしても、サタンから苦痛を受けることになるだろう。
 
なぜなら、あなたたちがこの世の罪人たちの罪の代価を代わりに背負わなければならないからだ。
 
あなたたちがこれから救うべき人たちの罪を代わりに背負わなければならないのだ。
 
そして、あなたたちの中で大きな使命を背負うべき者ほど、より多くの人々の罪の代価を代わりに背負わなければならない。
 
だから、あなたたちがこれ以上耐えられそうもないほどの辛い艱難を経験するなら、それは自分が将来に救うべき人たちの罪の代価を代わりに受けているのだと考えなさい。
 
自分の罪の代価だけでなく、自分がこれから救うべき人たちの罪の代価を背負わなければならないこともあるのだ。
 
そうしなければ、あなたが伝道することをサタンが怒り狂い、妨害に妨害を重ねて、あなたが伝道しようとしている人が救われることがないように徹底的に攻撃してくる。
 
しかし、事前にあなたがその人の罪の代価を代わりに受けているなら、サタンはそこまで妨害することができない。
 
だから、あなたたちは自分がどんな艱難苦難に襲わても、絶対に落胆してはいけない。
 
その苦痛は、自分が将来救うべき人の罪の代価を代わりに背負っているものだと考えなさい。
 
はっきりと言うが、あなたたちの中には人を殺したり、強姦をしたり、詐欺をしたりといった悪人はいないのではないか。
 
だとしたら、あなたたちが受ける罪の代価は本来、それほど大きなものにはならない。
 
なのに、あなたがこの世の人たちとは比べられないほど大きな苦痛を受けるとしたら、それはあなたたち自身の罪の代価ではない。
 
あなたが将来救うべき人の罪の代価まで代わりに背負っているのだと考えなさい。
 
そして、これからの六年間、あなたたちは極度の艱難苦難を受けるといったが、この期間により多くの苦痛を受けた者は、それだけ多くの人たちの罪の代価を背負ったということだから、その分、より大きな働きを成す大使徒となるだろう。
 
だから、これからの六年間を過ごす者は、これからの六年間を過ごさない者に比べて、祝福もより大きくなるということだ。
 
だから、あなたたちはどんな艱難苦難を経験することになっても、絶対に落胆してはいけない。
 
とはいえ、あなたたちの中で異性の罪を犯していながら、きちんと中心者に告白していない者は、サタンから猛烈な苦しみを受けることになる。
 
そして、それはあなた自身の罪の代価なのだと考えなければならない。
 
その罪の代価をあなたは自分では払いきれない。
 
中心者にきちんと告白し、中心者に祈ってもらわなければならない。
 
今の時代は、異性の罪をあまりにも軽々しく犯してしまう者が多いので、異性の罪があっても、さして罪の意識を持たない者が多いが、前にも話した通り、異性の罪は姦淫の罪であり、これは人を殺したのと同じぐらい大きな罪だ。
 
そして、人を殺した者も、姦淫をした者も、その受けるべき裁きはかなり大きいと考えなければならない。
 
本当にあなたたちのやることなすこと全てがうまくいかない状態にまで陥るだろう。
 
そんなことにならないためにも、異性の罪がある者はきちんと中心者に告白して、私の前で悔い改めの祈りを捧げなければならない。
 
とにかくこの六年間は、あなたたちの罪をきちんとすべて精算すべきときだ。
 
もちろん、この六年間であなたたちが完全になるのは難しいが、それでも毎日の罪をきちんと悔い改め、毎日の罪をきちんと精算しつつ、あなたたちが将来に救うべき人々の罪の代価まできちんと払っていかなければならない。
 
しかし、あなたたちがこの世の人々の罪の代価を代わりに払うといっても、あなたたちが全てを払うことができるわけではない。
 
それができるのはキリストだけだ。
 
しかし、あなたたち自身も自分に罪があればきちんと悔い改めなければ救われないように、これからあなたたちが救うべき人たちも自分の罪はきちんと自分で悔い改めなければならない。
 
そうしなければ、その人は私から赦されることができず、私から許されなければ、私を愛することができない。
 
私を愛することが許されない。
 
だが、これから救われるべき人たちは、未だに私のことを知らず、今でも当たり前のように罪を犯して生きている。
 
そんな彼らの罪をあなたたちが少しでも代わりに悔い改めるなら、将来、彼らはその分だけ救いを受けやすくなる。
 
つまり、私の言葉を素直に受け入れて、私のことを愛しやすくなる。
 
あなたたちがこの世の人々の罪を代わりに悔い改めることで、これから救われるべき人たちがより救われやすくなるのだ。
 
だから、あなたたち義人がこの世の人々の罪の代価を代わりに背負い、代わりに悔い改めることが必要なのだ。
 
そうしてこそ、この世の多くの人々が救われ、私の作る千年王国もより壮大に成されていく。
 
だから、あなたたちは本当に真心からこの世の人々のために祈らなければならない。
 
兄弟姉妹のために祈り、この世の人々のためにも祈らなければならない。
 
そうすることによって、あなたたちは彼らの罪を代わりに背負い、彼らの代わりに罪の代価を払うことになるのだ。
 
そして、兄弟姉妹もあなたの祈りによって祝福され、この世の人々も祝福されることになる。
 
そうだ。
 
あなたが誰か他の人のために祈るとき、それはあなたがその人の罪の代価を代わりに払ってあげているのと同じだということを理解しなさい。
 
借金のある人の借金を代わりに自分が返済してあげるのと同じようなものなのだ。
 
兄弟姉妹のための祈り、この世の人々のための祈りとは、まさにそのようなものなのだ。
 
だから、兄弟姉妹のために惜しまず祈る者、この世の人々のために惜しまず祈る者は、それだけ霊的な富を自分の中に蓄えていると言える。
 
他人のために祈る余裕のない者は、それだけまだ心が狭いということだが、なぜ心が狭いのかというと、それだけその人が霊的な富を自分の中に蓄えていないからだ。
 
つまり、まだまだ受けるべき聖霊をきちんと受けられていないということだ。
 
だから、いつまで経っても他の人たちのために祈るだけの心の余裕が持てないのだ。
 
とはいえ、これからは例え心の余裕があろうとなかろうと、あなたたちには苦難があるから、その苦難を受けるたびに、自分がこれから救うべき人の罪の代価を背負っているのだと考え、兄弟姉妹のため、この世の人々のために真心をこめて祈りなさい。
 
そうすると、あなたが受けていた苦しみもいずれ和らいでいく。
 
支払うべき罪の代価を祈りによって払い終えれば、その苦しみが終わる。
 
だから、苦しみを沢山受けている者は、自分のために祈ると同時に、兄弟姉妹のため、この世の人々のためにも祈ることが知恵だ。
 
そのようにしてこそ、あなたたちは人類の罪を代わりに背負ったキリストと同じ心情をもって祈りを捧げた者と見なされ、キリストと同じような祝福を受けられるようになる。
 
そのような人こそが真の義人として私から認められるようになるということだ。
 
今日の御言葉は、これまでの御言葉よりもさらに一段階、次元を上げた御言葉だ。
 
この御言葉を真に実践できる者こそ、真に自己中心の罪を捨てた者だと言えるし、真にキリストと同じ心情をもって生きている者だと言える。
 
そして、私はあなたたちをそのようにキリスト同じ次元にまで引き上げたいと思っているので、敢えてあなたたちを苦しめて、そのような次元にまで引き上げられるように練達することもあるだろう。
 
これからの六年間の苦しみは、そのようにあなたたちをキリストと同じ次元にまで引き上げるための練達だと考えなさい。
 
キリストと同じ次元になるということは、生半可な気持ちでなれることではない。
 
しかし、あなたたちがキリストと同じ次元にまで上れなければ、一体、私は何のためにこの世にキリストを送ったというのだろうか。
 
あなたたちがキリストをモデルとして、キリストと同じような者となれるようにとキリストを送ったのではないか。
 
そして、そのキリストは人類の罪を背負って鞭打たれ、獄に入れられ、十字架に磔にされた。
 
今の時代、あなたたちがそのような死の苦しみまで受けることはないが、それでも心情的な苦しみや様々な苦痛を受けることになる。
 
その苦痛をこの世の人々の罪の代価だと考えて耐え忍び、この世の人々の救いのために真心から祈る者は幸いだ。
 
そのような者はキリストと同じ心情をもっている者と見なされ、私からキリストと同等の祝福を受け、キリストと同じ扱いを受けるようになるだろう。
 
私はあなたたちにそのような次元にまで上ってほしいと願っている。
 
あなたたちはこの言葉を難しいと考えるな。
 
むしろ、苦痛を受けたとき、そのように他の人々のために祈ってこそ、自分が受けている苦痛もより早く解決することができるのだ。
 
単に自分の問題の解決のためにばかり祈るよりも、他の人々のために祈ってこそ、自分の問題ももっと早く解決する。
 
この御言葉を深く理解し、実践する者は幸いだ。
 
そのような者は、キリストと同等な者と私から見なされて、キリストのような働きをこの地上で成すことができるようになるだろう。
 
愛している。
 
(続けて、2月11日に受けた啓示です。)
 
そうだ。最後までだ。
 
最後まで耐え忍び、最後までやり抜くことだ。
 
そうしてこそ、あなたたちは必ず勝利する。
 
これからサタンが大暴れして、あなたたちをさんざん苦しめるということを今まで何度も話してきた。
 
そして、あなた(ラプト)自身が先ずはこうしてとてつもない苦難に見舞われてしまった。
 
しかし、あなたはその苦しみの中でも必ず明け方に祈って私から啓示を受けてきた。
 
また、その苦痛の中で様々な苦悩を私に打ち明け、私に祈り求めた。
 
それによって、あなた(ラプト)は少しずつ勝利の兆しが見えはじめているのではないか。
 
最初に苦難に見舞われたとき、果たしてこれほど大きな問題が本当に解決できるだろうかとあなたは思ったのではないか。
 
しかし、あなたはそれでも諦めずに私に祈り求めた。
 
どんなに祈っても、最初のうちは問題が大きくなるばかりだったし、どんなに解決しそうに見えても、さらに問題が大きくなったりと、いつまで経っても問題が解決しそうな見込みがなかった。
 
だから、あなたは途方に暮れたが、それでもあなたは私のことを信じつづけて、問題が解決するように祈りつづけた。
 
また、その苦しみの中でも自分のやるべき仕事を最後までやり通した。
 
それによって、単にその問題が解決するだけではなく、自分の成すべき仕事において大きな勝利を治めつつある。
 
このようにあなたたちは、例えどんな大きな問題にぶつかったとしても、絶対に最後まで諦めずに私に祈り求めなさい。
 
何らかの問題にぶつかり、それがなかなか解決しないからといって、決して落胆したり、自暴自棄したりしてはいけない。
 
預言者エリアは、あれだけ多くのバアルの預言者と戦って勝利を治めたにもかかわらず、イゼベルという女から追いかけられたとき、どうして自分にはいつまでも艱難ばかりが続くのかと思って落胆し、自暴自棄した。
 
そして、自分の命を早く取り去ってくださいと私に祈り求めるようになった。
 
---------------------
 
(列王記上19章1〜4節)
 
アハブはエリヤのしたすべての事、また彼がすべての預言者を刀で殺したことをイゼベルに告げたので、イゼベルは使者をエリヤにつかわして言った、
 
「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々のひとりの命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰してくださるように」。
 
そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、
 
「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。
 
---------------------
 
一応、私はそのエリヤの祈りを叶えてあげたが、彼はモーセと二本のオリブの木となるほどの偉大な預言者だったので、もし彼がその後も生きて活動を続けていたなら、イスラエルにはびこっていた全ての悪を取り除き、イスラエル民族のほぼ全員を私に立ち返らせることができたはずだ。
 
だが、彼はあまりにも患難苦難が続くので、自暴自棄に陥ってしまった。
 
最初のうちは、どんなにバアルの預言者たちから命を狙われたり、罵倒されたりしても、決して心ひるむことなく彼らに立ち向かい、彼らを滅ぼしていったが、その後も次から次へと敵に襲われ、さらには王の妃であるイゼベルにまで追いかけられるハメになったので、もうこんなことには耐えられないと思い、私に向かって死にたいとまで祈り求めるようになってしまった。
 
彼があのまま最後まで敵と戦いつづけていたら、彼は確実に勝利し、悪人たちを全て滅ぼし尽くしていたはずだ。
 
ところが、彼がそれをきちんと最後までやり遂げなかったので、その後のイスラエルの歴史はどんどん悪に流されることになってしまった。
 
イスラエルの王たちは皆、ことごとく偶像を拝んで私を怒らせ、祝福ではなく、災いをイスラエルに招くことになってしまった。
 
イスラエルの王たちが偶像を拝むことなく、私を拝んでいれば、アッシリアに滅ぼされることも、バビロンに捕囚されることもなかっただろうが、イスラエルの王たちは誰も彼もが次から次へと偶像を拝みつづけた。
 
もしエリヤが最後まで生きていて、彼のやるべき全ての使命を最後まで果たしていたなら、その後の歴代のイスラエルの王たちも、私の力がどれほど偉大なものであるかを知り、私を拝んでいたに違いない。
 
しかし、エリヤが途中で自暴自棄し、その後もイスラエルには相変わらずバアルの預言者たちが繁栄しつづけたので、歴代のイスラエルの王たちは、私よりもバアルを拝んだ方が栄えると思い、バアルを拝み仕えるようになってしまった。
 
はっきりと言うが、サタンは6で、私は7だ。
 
だから、私にすがりつき、私と一体になって最後まで私の御心を成していけば、必ず勝利することが決まっている。
 
キリストも十字架の死を最後まで耐え忍んだからこそ、勝利して、その後、多くの人々を救うようになったのではないか。
 
また、ラプトも何十年と小説家になりたいという夢を捨てずに祈りつづけたので、結果的にこうしてこの世の悪魔の支配のカラクリを解き、今の時代の悪魔崇拝者たちの活動を阻止しているのではないか。
 
とにかく最後までだ。
 
二十年間も小説を書き続けて、何の結果も出ないのに、それでも諦めずに書きつづけるということは、この世の普通の人には絶対にできることではない。
 
しかし彼は、私に祈り求めることで、絶えず聖霊を受けつづけてきたので、これこそが自分の御心に違いないと確信し、その確信があったからこそ諦めずに彼は祈り求めつづけることができたのだ。
 
だから、祈りの力がとても大きい。
 
祈らなければ、あなたたちは何らかの問題にぶつかったとき、自分はもうダメだと思って、問題を解決することを諦めて別の道に行ったり、持久力をもってやるべきことをやらずに、断念して途中でやめたりしてしまう。
 
エリアも諦めずに敵の滅亡を祈りつづけていれば、全ての敵をことごとく滅ぼし尽くすことができたはずだが、彼はそれを諦めてしまった。
 
あまりにも辛いと思って、自分の使命が嫌になり、私に殺してほしいと祈り求めるようになってしまった。
 
私は何度も彼に心を翻すようにと霊感を与えたが、彼の心はもう既に死にたいという気持ちでいっぱいになってしまっていた。
 
私はそんな彼の姿を見て、これ以上、彼にどんなに働きかけても、その心が変わることがないと判断したので、結局、彼の願い通りに彼の命を奪い取ることにした。
 
その結果、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダもバビロンに滅ぼされてしまった。
 
このように最後までやらないことが実に恐ろしい。
 
最後までやらなければ、サタンの勝利になってしまうからだ。
 
確かにサタンは目に見えない存在なので、あなたたちからしてみれば得体の知れない恐ろしい存在のように思えるかも知れない。
 
だから、サタンに攻撃されたとき、あなたたちはそのサタンがとても巨大な存在のように思えてしまうかも知れない。
 
しかし、いざラプトが「原発も原爆も存在しない」ことを暴いたとき、それまで巨大に見えていたイルミナティがとてもちっぽけな存在に見えたのではないか。
 
サタンはそのように自分の存在をとても大きく見せることに長けているのだ。
 
しかし、サタンはあなたたちにとって本当は蚊やハエのような何でもない存在なのだ。
 
あなたたちが祈りさえすれば、サタンはいつのまにかどこかに消え去っていってしまう。
 
どんなしぶとい蚊や蝿であろうと、殺虫剤を撒きつづけていれば、いずれ死んでしまうのではないか。
 
もし殺虫剤を撒いても死ななければ、追いかけて叩き殺してしまえばいいのではないか。
 
あなたたち私を信じる義人たちは、サタンよりも強い力を持っているのだ。
 
サタンは6で、私は7だからだ。
 
だから、あなたたちにとってサタンはただの蚊やハエに過ぎない。
 
なのに、あなたたちは次々と襲いかかる艱難苦難を見て、それがとてつもなく巨大なもののように思ってしまう。
 
そのようにサタンに騙されてしまうのだ。
 
サタンはとにかく自分の存在をあなたたち以上に大きな存在であるかのように見せかけるのがとてもうまい。
 
しかし、実際はあなたたちの方がサタンよりも遥かに強いのだ。
 
そうではないか。
 
彼らは堕落した霊どもだ。
 
堕落した霊が、どうして私や天使天軍に守られたあなたたちより強いことがあるだろうか。
 
彼らは今まで悪知恵を使って自分たちの存在を大きく見せてきただけで、本当のところはサタンは大した存在ではない。
 
特にこのラプト理論を知り、かつこの完全な御言葉を聞いているあなたたちは、サタンよりも遥かに知能も能力も長けていると考えなければならない。
 
もちろん、最初のうちはサタンから不意打ちを食らわされて、どう対処すればいいか分からず、困惑することも多々あるだろうが、それでも私に祈り求めつづけるなら、私が必ずあなたたち知恵と能力を与え、サタンに勝利する方法を事細かく教えていくし、あなたたちの力で解決できないことがあれば、必要な人を送ったり、様々に状況を変えたりしながら、私が確実にサタンを滅亡へと追いやっていく。
 
確かに蚊に何度も刺されたら不快だし、余りの痒みに気が狂いそうになることもあるだろうが、それでも蚊は蚊だ。
 
人間から見れば、とても小さな虫けらだ。
 
だから、あなたたちが蚊を叩き潰してやると決心し、最後まで諦めることなく蚊を退治しようとすれば、必ず勝利することができる。
 
サタンは常にあなたたちの信仰を叩き壊し、かつあなたたちが私の御心を成せないように妨害しようとする。
 
しかし、例えどんなに妨害されて不快な思いをしたところで、蚊は簡単に叩き潰すことができる。
 
だから、あなたたちは自分にどんな艱難苦難が押し寄せてこようとも、絶えず私に祈り求め、私にすがりついて、最後まで諦めずにその艱難苦難を乗り越えなさい。
 
そうしてこそ、あなたたちは最後の最後に思いもよらぬ祝福が与えられるのだ。
 
ヨブがそれまでの二倍の祝福を受けたように、あなたたちも自分が想像していた以上に豊かな祝福を受けることができるだろう。
 
ラプトも最後まで祈りつづけたからこそ、小説家にはなれなかったが、それ以上に遥かに大きな使命を果たすことができるようになった。
 
歴史を塗り替える偉大な仕事を成し遂げるようになった。
 
だから、祈りの力がとても大きい。
 
最後まで諦めずに祈り求めるかどうかで、あなたたちはサタンに負けて終わりになるか、それとも想像もしていなかった大きな祝福に預かることができるかが左右されてしまう。
 
あなたたちはどんな苦難があっても最後まで耐え忍びなさい。
 
そして、最後まで諦めることなく自分の成すべき使命を成していきなさい。
 
そうすれば、あなたたちはそれまで想像もしていなかったような大きな祝福に預かることができる。
 
信じなさい。
 
私は神だ。
 
全知全能の神だ。
 
あなたたちに降りかかるどんな問題も全て簡単に解決することができる神だ。
 
あなたたちに最後まで耐え忍んでほしくて今日の御言葉を伝えた。
 
愛している。
 
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皆さんに神様からの祝福がありますように。
 

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